【体験談】41週で死産を経験しました(臍帯巻絡と後悔、そして今思うこと)

雑記
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こんにちは、たんめんです。
久しぶりの更新になります。

実は、私自身の身にさまざまなことが起こり、なかなか記事を書くことができずにいました。

タイトルにもある通り、今回、死産というとてもつらい経験をしました。

今にも泣いてしまいそうな状態ですが、私自身、死産を経験された方のブログに救われた部分がありました。もしかしたら、私の体験も誰かの役に立つことがあるかもしれないと思い、今回のことを記録として残すことにしました。

かなり現実的でつらい内容が含まれます。まだ心の傷が癒えていない方や、読むことで気持ちが大きく揺さぶられそうな方は、どうか無理をせず、ここで読むのをやめてください。


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経緯・原因

妊娠初期・中期・後期を通して、大きなトラブルはなく、経過は順調と言われていました。
妊娠糖尿病の検査で一度再検査になりましたが、結果は問題なし。妊娠後期に貧血があり鉄剤を服用していた程度で、本当に「順調」という言葉が当てはまる妊娠だったと思います。

臨月に入り、無痛分娩を希望していたため、計画分娩の日程を決める話が進み始めました。ただ、第二子にもかかわらず胎児の頭が下がっておらず、「この状態では分娩できない」と言われ、予定日が近づいても日程は決まりませんでした。

予定日の翌日の健診でも頭の位置が高いと言われ、分娩日は決まらないまま、「3日後にもう一度健診に来てください。その日が最後の健診です。状況次第では、そのまま入院して分娩になる可能性もあります」と説明されました。

そして、その最後の健診(40週4日)で、エコーにより臍帯が3回巻いていることがわかりました。

最初は「すぐ帝王切開になる」と説明されましたが、その後すぐに、「経腟分娩でも可能なケースがある。経腟分娩で進めて、途中で心拍が下がるなど異常があれば、すぐ帝王切開に切り替えられるよう準備しましょう」と方針が変わりました。

その日は金曜日で、「胎児は元気」という判断のもと、月曜日に入院して誘発分娩を行い、何かあれば帝王切開に切り替える、ということで話がまとまりました。

今振り返ると、ここが私にとって一番大きな後悔になっています。

あのとき、その日のうちに帝王切開してほしいと言っていれば。
今日すぐに誘発してほしいと伝えていれば。
不安だから入院させてほしいと強くお願いしていれば。

第一子も予定日超過で誘発分娩だったため、「また同じ流れなんだな」と、どこかで過去の経験に当てはめて考えてしまっていました。

第一子のときは陣痛を促す体操をしていたため、今回もしていいか尋ねると、「陣痛が来たときに臍帯が圧迫される可能性があるから、今はせずに横になっていてください」と言われました。

今思えば、40週を過ぎている以上、いつ陣痛が来てもおかしくない状態です。
陣痛が来たらリスクがあると言われているのに、なぜ帰宅になったのか。
なぜその時に疑問を持てなかったのか。

自分でも、今になって考え続けています。


週末のこと

土曜日の朝、薄いピンク色のおりもの、いわゆる「おしるし」がありました。
予定日を過ぎていたこともあり、「これくらいはあるよね」と思い、病院に電話はしませんでした。

これも後悔しています。
もし連絡していたら、何か違う対応になっていたかもしれない。
すぐ受診するよう言われていたかもしれない。

なぜ自己判断してしまったのか。
なぜ臍帯が3回巻いていることを、もっと重く受け止めなかったのか。

不思議とそのときは、「自分は大丈夫」「この子は乗り越えられる」と、根拠のない自信のようなものがありました。

そして日曜日。
朝はいつも通り、上の子と朝食を取りました。
胎動が少ないように感じましたが、「気のせいかもしれない」と思い、横になって胎動チェックをしようとしたまま、眠ってしまいました。

昼ごはんを食べたら動くだろう、と考えていましたが、いつもはよく動く時間帯にも動きを感じず、不安になって病院に連絡し、受診しました。

そこで、心拍が停止していることを告げられました。

考えられる原因は、臍帯が圧迫されたことによる循環不全とのことでした。

最後に胎動を感じたのはいつかと医師に聞かれましたが、はっきりとは答えられませんでした。
お腹の張りを胎動だと思っていた可能性もあります。

土曜日の夜、寝る前に感じた小さな動き。
「弱っていたから小さかったのかもしれない」「あれが最後のサインだったのかもしれない」
そう思うと、今でも胸が締めつけられます。

でも、当時の自分は、それを異常だとは思えませんでした。
上の子の世話や、入院したらしばらく会えなくなることを考えながら、精一杯の判断をしていたのも事実です。

どれが正解だったのかは、今もわかりません。


後悔

後悔していることを挙げれば、きりがありません。

  • 最後の検診でその日のうちに帝王切開して、今日誘発して、不安だから入院させてくれ、と言えば、、、
  • 検診を金曜日じゃなくて木曜日にしていれば土日を待たずに済んだのではないか
  • おしるしがあった時に電話していれば
  • 土曜日に不安だからもう一度検診に行っておけば
  • なんでへその緒が3回巻いていることを楽観視していたんだろうか
  • なぜ自分は大丈夫だと思ったのか
  • 土曜日の夜に感じた胎動の弱さをなんで誰にも相談しなかったのか
  • なぜ胎動カウントしていなかったのか
  • もっと言えばなんでこの病院にしたんだろうか
  • 24時間麻酔科医がいて、いつでも対応してくれる大きな病院にしていれば

「ママは悪くない」「自分を責めないで」と言われても、
胎動を感じられたのは私だけだった、という思いが消えません。

長い妊娠期間を耐えて、ようやく会えると思っていた矢先の出来事でした。
同じ経験をした方なら、きっと似た思いを抱えているのではないでしょうか。

※以下、出産・グリーフケア・上の子への関わりについて記載しています。
つらくなったら読むのを止めてください。

出産

予定通り、月曜日に出産となりました。

最後の健診では、「誘発剤を使ってもすぐに進まず、長丁場になるかもしれない」「臍帯が3回巻いていることで、長さが足りず出てこられない可能性がある」と説明されていましたが、実際にはそうではありませんでした。

誘発剤・促進剤を使用し、分娩時間は約5時間。
無痛分娩にしていたため麻酔の影響で一時的に陣痛が弱まりましたが、それでも促進剤を使ってから3時間もかからずに生まれてきました。

臍帯は十分な長さがあり、出てくる余裕もありました。
結果論ではありますが、「金曜日でも分娩できたのではないか」と思ってしまいます。

私はこの経過を、判断ミスだったのではないかと感じています。
医師からは「金曜日の段階ではこの結果は予測できなかった」と説明を受けましたが、それでも金曜日を避けなければならなかった理由が、今も自分の中で整理できていません。

正直に言えば、病院側の体制や都合も影響していたのではないか、と考えてしまうこともあります。

いろいろな判断が少しずつ裏目に出た結果。
これが運命だったのかどうか、今も答えは出ていません。

立ち会い出産

私は最初、夫に「こんなにつらい場面を見なくていい。立ち会わなくてもいいよ」と伝えました。

しかし、看護師さんから「一緒に乗り越えるという意味でも、立ち会ってもらうのは大切だと思う」と言われ、最終的には夫自身に決めてもらうことにしました。

夫は立ち会うことを選び、結果として、本当に立ち会ってもらってよかったと心から思っています。

励ましてくれたことはもちろん、生まれた瞬間に一緒に泣き、同じ気持ちで悲しんでくれる人が隣にいたことに、救われました。

赤ちゃんの産声はなく、私たち夫婦の泣き声だけが病室に響いていました。

出産後、医師たちは淡々と胎盤の処置や会陰の処置を進めていました。
あの時間をもし一人で過ごしていたらと思うと、今でも胸がざわつきます。


グリーフケア

出産が始まる前に、病院からグリーフケアについての説明がありました。

・カンガルーケア
・記念撮影
・手形・足形
・臍帯を残す
・爪切り
・授乳
・沐浴
・お別れの時間

など、さまざまな選択肢が提示されました。

私は、母から「写真などはあまり残さないほうがいいのでは」と言われていたこともあり、手形・足形、臍帯、沐浴をお願いすることにしました。どれを選ぶか、夫と泣きながら話し合ったのを覚えています。

看護師さんから「カンガルーケアはどうする?」と聞かれたとき、私は「むなしくなりそうでつらい」と伝えました。
すると、「赤ちゃんの温かさを感じられるから、やってみてもいいと思うよ」と勧められ、カンガルーケアもすることにしました。

結果的に、やってよかったと思っています。
ほんのり温かくて、生きていると錯覚してしまうほどでした。

とてもかわいくて、上の子が生まれたときの顔とそっくりだと感じました。
小さくて、軽くて、本当にかわいい赤ちゃんでした。

夫と一緒に泣きながら、「かわいいね」「上の子に似てるね」「ママ似だね」と話し、短い時間でも家族として過ごせたことは、今でも大切な記憶です。

写真についても迷いましたが、あまりにもかわいくて、結局、夫と私と赤ちゃんで看護師さんに撮ってもらいました。
「後で消すこともできるから、今はデータとして残しておいてもいいと思うよ」と言われ、その言葉に救われました。

今では、かけがえのない大切な写真です。


退院

通常であれば出産後5泊ほどで退院ですが、死産の場合は「翌日には退院できます」と案内されました。

その言葉を、当時の私はとても冷たく感じてしまいました。
早く病院から出て行ってほしいと思われているように感じたからです。

赤ちゃんの声が聞こえないよう、静かな階に移動しましたが、小児科に入院している子どもの声が聞こえることもあり、それがとてもつらく感じられました。

家族に会いたい気持ちが強くなり、出産から2日後に退院しました。

入院中は赤ちゃんとずっと同じ病室で過ごしました。
保育器に入っている姿を見ていると、上の子のときと重なり、「本当に亡くなっているのかな」「眠っているだけじゃないかな」と、現実感が持てませんでした。

病院によっては、すぐに葬儀社へ引き渡されることもあるそうですが、私の場合は季節的にも問題なく、部屋で一緒に過ごし、そのまま一緒に自宅へ帰ることができました。

退院時は、夫と上の子が迎えに来てくれて、家族みんなで帰りました。
とてもよく晴れた日で、「空を見せてあげられてよかったね」と話しながら帰ったことを覚えています。


火葬について

火葬の手続きについては、出産当日に病院から説明がありましたが、頭が追いつかず、正直ほとんど覚えていませんでした。

整理すると、以下の流れになります。

・病院から死産証書を受け取る
・死産証書を持って役所で死産届を提出する
・火葬許可証を受け取る
・火葬許可証を病院に提示して退院
・火葬場の予約(多くは葬儀社が対応)

妊娠41週での死産ということもあり、病院に用意されている棺には入らず、葬儀社で用意してもらう必要がありました。

いくつか問い合わせをしましたが、「赤ちゃん用の棺がない」「対応できない」と断られることもあり、途方に暮れました。
Amazonで棺を購入し、自分たちで火葬場へ行くことまで考えたほどです。

最終的に、病院から地域に詳しい葬儀社を紹介してもらい、対応していただくことができました。
同じような状況の方は、病院に地域密着型の葬儀社を相談してみると良いかもしれません。

また、仕事をしている方は、産後休業の申請に死産を証明する書類が必要になる場合があります。
死産証書を役所に提出する前に、コピーを取っておくことをおすすめします。

葬儀

私たちは、いわゆる「葬儀」という形は行いませんでした。

葬儀社には棺のみを用意してもらい、自宅で家族だけのお別れの時間を過ごしました。

棺の中には、 いただいたお花 、上の子とおそろいの人形 、妊娠中に一緒に過ごした家族の写真 、パパとママからの手紙を入れて、お別れをしました。

葬儀社には、

  • 火葬場の予約
  • 棺の手配
  • 火葬場までの車の手配
  • お坊さんの手配

をお願いしました。

火葬場ではお坊さんが来てくださり、お経を唱えていただきました。 また、赤ちゃんに戒名をつけていただくこともできました。

形式ばった葬儀は行いませんでしたが、家族としてきちんとお別れができたと感じています。


ベビーのためにしたこと

死産の場合、戸籍には残りません。
私はこの事実を知り、とても衝撃を受けました。

五体満足で生まれてきたのに、産声をあげなかったという理由だけで、書類上は存在しなかったことになる。
とても受け入れがたい現実でした。

死産届に名前を書くことはできますが、それ以外に公的な記録は残りません。

それを不憫に思い、夫が「ベビーのおうち」として、小さな仏壇のようなメモリアルスペースを用意してくれました。

私たちは soramusubi というサイトで購入しました。以下リンクを貼っています。

soramusubi

名前を残せたことが、私たちにとって大きな意味を持ちました。
発送も早く、火葬にも間に合い、骨壺を持って行くことができました。

今も毎日、お線香をあげ、お花を飾っています。
私がベビーにしてあげられることは多くありませんが、これからも大切に向き合っていきたいと思っています。


上の子への伝え方

心拍が止まっていることを告げられた日、上の子と一緒にお風呂に入りました。
そのとき、赤ちゃんの心臓が動いていないことをごまかさずに伝えました。

すべてを理解していたわけではないと思いますが、泣きながら話したことで、「何か大きな出来事が起きている」ということは伝わっていたように感じます。

出産後、カンガルーケアの時間に、夫が上の子を連れてきました。
見せるべきか迷いましたが、「家族だからきちんと会わせよう」と決め、会わせました。

上の子は「ベビー、帽子かぶってる」と少し嬉しそうにしながらも、周囲の大人が泣いている様子に戸惑っているようでした。

退院後、火葬までの2日間は自宅で過ごしました。
遺体を見せないほうがいいという意見もありましたが、看護師さんに相談し、「できるだけきちんと伝えたほうがいい」という言葉を聞き、家族みんなで過ごすことにしました。

看護師さんいわく、上の子に何も見せず伝えずにそのまま火葬となった人がいて、その方は上の子にずっと「赤ちゃんどこいった?」と聞かれたことがあったそうです。
子どもからしたら、お腹の中に赤ちゃんがいると聞かされていたのに、急にママのお腹にいなくなって、どうして?どこいった?と戸惑ってしまったようです。

その話も参考にしてできるだけうやむやにせずに伝えるように心がけました。

上の子は3歳ですが、子どもなりに何かを感じ取っていたようで、「ベビーげんきないの」と話していたと後から聞きました。

頭をなでたり、「かわいいね」と声をかけたり、自分のアルバムを見せたりする姿を見て、胸が締めつけられました。

火葬前日には「明日でお別れだよ」と事前に話していました。その日の夜は「一緒に寝たい」と言われ、ベビーも一緒に寝室で過ごしました。

火葬後、「ベビーどこ行った?」と聞かれ、「お空に行ったよ」と伝えると、夫と一緒に空を見上げていました。

火葬の際のお骨上げについては、上の子は別室で待機してもらいました。
年齢的に、あの場面を見せることが良いのかどうか迷いましたが、ショッキングな映像になる気がして無理に見せる必要はないと判断しました。
すべてを見せることが正解だとは思っていません。上の子の気持ちや年齢に合わせて、関わり方を選んでよかったと思っています。

「なんでいないの?」「なんでお別れなの?」という問いには、できる範囲で正直に答えました。
ママには聞かず、パパにだけ聞くこともあり、子どもなりに空気を読んでいたのだと思います。

仏壇でお線香をあげていると、「なにしてるの?」と聞かれ、「ベビーにお話ししてるよ」と伝えると、「ベビー、そこでなにしてるの?」と聞かれたこともありました。

一番胸に残っているのは、「お姉ちゃんになりたい」と言われたときです。

泣きそうになりながら、「もうお姉ちゃんだよ」とだけ伝えました。
「ごめんね」と言いそうになりましたが、それは違う気がして、言いませんでした。


お別れから1〜2か月後

以前より、上の子の少し癇癪が増えました。
思い通りにならないと長く泣き続けることがあり、保育園でも突然「ベビーはお空に行ったよ」と話すことがあったそうです。

テレビを見るときは私の膝の上に座り、離れないように甘えることも増えました。

上の子への関わりが正解だったのかは分かりませんが、子どもなりに受け止め、向き合っていたように感じています。

おわりに

この経験に、きれいな意味や答えはまだ見つかっていません。 それでも、あの子は確かにここにいて、私たちは家族でした。

もし今、同じような喪失の中にいる方がこの文章を読んでくれているなら、どうか自分を責めすぎないでください。 気づけなかったこと、選べなかったこと、それもすべて、その時のあなたが精一杯だった結果だと思います。

何も前向きになれなくても大丈夫です。 立ち止まったままでも、泣き続けても、ちゃんと母親です。

私も最初はこんなこと言われても後悔がどっと押し寄せていました。でも時間とともに冷静になり客観的に考えられるようになりました。

そして書けるようになるまで時間がかかりましたが、こうして言葉にできたことが、今の私にできる精一杯です。

一緒に少しずつ進んでいきましょう。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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